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出会えたり出会えなかったり season4

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07月の記事一覧
Posted on 00:21:42 «Edit»
2020
07/20
Mon
Category:日常

いきなり帰る男  

1月の空に厚く垂れ込めた鉛色の雲を漫然と見上げている。鉛色の内側に飲み込んでいるのは雨なのだろうか。

タバコを吸い終わるまでの数分間、私はモータープールに止めたホンダの脇に立ったまま、そのような思いにふけりながら過ごした。


そのあとタバコを足元に捨てて踏みつぶすと、歩き始める。


オフィスへ着くまでの数分間、私はこの寒さに耐えきれずN3Bジャケットのジップをそれこそ顔が半分隠れてしまうくらいの高さまで上げた。


両手はハンドウォーマーにもう夏が来るまで突っ込んだままでいたい気分だ。目いっぱい冷気を含んだ海風が本当に容赦ない。


目の前に広がる人工の砂浜、そのむこうは東京湾だ。そして一年中吹いて止まない海風。すぐそこにある地元チームのホームスタジアムではその海風が名物となっている。


夏の夕方、八ヶ岳やキムとビール片手にスタジアムで涼むときは心地よい海風も1月の曇り空の下ではまるで私がやり過ごしてきた過去の過ちへのペナルティみたいに全身に染みわたる。


海風にさらされる高層ビル群の中にあるツインタワー西館12階のオフィスへ入ってコーヒーを入れ今日何本目だが忘れたタバコに火をつけると海風にやられた体に体温がみるみる戻ってくる。


ー 遅かったじゃないか


オフィスにはキムが待ち構えていて両足を机に投げ出したままお出迎えだ。


先日、危うくしくじりそうになったときキムの機転で何とか命を取り留めた。


千葉に帰るとキムはそれをデイリースポーツの一面タイガースの記事みたいに派手にオフィスで吹聴しまくっていた。


もともと危機を招いた原因が自分の遅刻にあるという部分は当然のごとく彼のサクセスストーリーから削除されている。


シーサーを持ち込ませたのも私のアイディアであるが、それすらサクセスストーリーの中では自分の手柄にすり替わっている。


事情を知らない女性スタッフにはそのサクセスストーリーが大変受けているそうでいままでうだつの上がらない南部訛りのおっさんだったのがやるときはやる八戸男児までレベルアップしたそうだ。


決して栄光など似合わない、そして色々な人の人生においてどんなに頑張ったところで通行人Aにしかなり得ない存在であるというキムに対する私の見立てはもしかすると少し過小評価だったのかも知れない。私の中でもここのところそれくらいキムはポイントをあげつつあった。


次は同行させてください


キムの手柄話に焦りを隠せない八ヶ岳が私に懇願してきた。


ミッキーさん、と言う地域だぞ
お前、ミッキーさんやお寺さんには耐えられそうもないんだろ


いや、それは千葉に限った話で


私は先日、やつがホンダの中でミッキーさんと言いながら見せた拳を熱くさせるレベルの笑いを思い出し少し爽快な気分になった。


-おまけに腕時計してないだけで、やつはだから東京の人間は、と非難してくる
とてもじゃないがお前には荷が重すぎる


ー 時計もしていきますし、第一俺は時間に遅れたりしないですよ


八ヶ岳はわざとキムに聞こえるように嫌味に近い発言をする。ライバル心むき出しである。


そんなに女性スタッフの評価が気になるのか。キムも八ヶ岳も。


私は窓の向こうに広がる鉛色の雲と、それと全く同じ色で重たそうに佇む海を交互に見ながら思う。


確かにファーゴの本部から派遣されてきている女性スタッフはそこらの別のオフィスとくらべたら質は高いのかも知れないが。


だとしてもそれは気にするほどの事じゃない。私に取ってはどうでもいいことだ。女性スタッフは必要なときに出先からのリモート操作にしくじることなく応えてくれればいい。そんな存在でしかないように思えるのだが。


俺でなきゃ出来ない事もあるさ


八ヶ岳の嫌味に呼応してキムが反撃する。


例えばだ


そこでキムはもったいぶった間を作る


ぶぶぶう


そして、両足を机上に投げ出したまま放屁した。


それがまた、近くにいた数名の女性スタッフの笑いを誘発する。


いやあ、キムさん


言葉とは裏腹にもう夕方のオフィスでは風物詩となった【キムの匂わないおなら】


そのイベントに対する女性スタッフの反応は外から見ても概ね好意的、あるいは芸人の一発芸に対する畏敬の念に通じる反応すら感じられる。


ぶぶう


調子に乗ったキムはさらに続ける。


もしかすると先ほどの八ヶ岳の嫌味が実はかなりキムには突き刺さったものだったのかも知れない。


また、女性スタッフたちにはどっと受けた。ただしここまでやりながら彼女たちの中で本当にキムはやるときはやる八戸男児の地位を確保出来ているのか疑問ではある。


調子いいぞ、今日は
おらっ


ぶぶう
ぶぶぶぶ


うっ
ぶりっ


えっ?
私と八ヶ岳は瞬間的に目を合わせる。


最後のはなんだ。


うっ
ぶりっ
っていうのは。


不味くないか。


そのあとキムは真顔になり、ゆっくり立ち上がるとかなり不自由な歩調で2、3歩歩き今度は明らかに青ざめる。


数歩歩いた事により事態が尋常じゃない事を察したみたいに。


そして


あー、、そう。
わたし、帰りますわ。今日は。


いきなり帰る宣言した。


そのままカバンを抱えコートを羽織りやっぱりどう見ても不自然な、そう、スラックスの中に新たに生まれ落ちた何かをかばうような歩き方で消えていく。


キムの退場をしばらく呆然と見守っていた私たちは17時のチャイムを機に正気を取り戻す。


なあ
ええ、あれね
やばくないか
ああ、完全うんこしてましたし
やっぱりそう?
ああ間違いない
漏らしてたね
なんとなく匂わないか
これってあたしたちにも責任ある?
まあ、責任ってレベルじゃないね。
キムがうんこ漏らしたのは100パーセント君らのせいだね。
ちょっとやめてよ。キムさんが勝手にうんこしたのに。
こら、女の子が、うんこ、とか言っちゃダメ
キムさんが便したのよ、勝手に


うんこも便もなんだか今となっては同じ響きでどうでもいいように思えた。


窓から見る海浜幕張の景色はもう、降り始めた闇と、今年一番の冷え込みのせいでキラキラと輝き始めていた。


よく見ると少し雪が舞ってるようだ。


この雪の中、キムは膝を決して曲げない歩き方でどの辺を歩いているのだろうか。

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